雑記雑考錯雑

高等遊民のありよう

神社探訪そのに

一月十二日、ニートは暇なので昼から散歩。

やっぱりニートは最高やな!

今回は幸津の天満神社に行きました。

「幸津」の名があらわすように、かつて鳥栖市南部のあたりは海が広がっていました。

このあたりは「江島」「不動島」「田出島」など、地名に海の名残がみえます。

幸津のあたりから少し高くなっているので、ちょうどこの辺りが港であったのでしょう。

筑後川沖積平野である鳥栖市南部の田園地帯はたびたび水害に見舞われてきました。

f:id:dagashi_rama:20220112163126j:plain

幸津天満神社へ続く昔ながらの小道を歩いていると、古くからの幸津の家々に施された水害対策を感じ取ることができます。

石垣の上に母屋を作る形式は筑後川中流域ではよく見られたようです。

かつては家に船を常備していたとか。

さて、神社に向かいましょう。

幸津天満神社は町の神社にしてはかなり広い境内を持っています。

放生池もあり、参道は長く鳥居が三本あります。

境内に公民館と遊具が設置され、今もよく管理され愛されている神社だとわかります。

f:id:dagashi_rama:20220112164830j:plain

f:id:dagashi_rama:20220112165001j:plain

拝殿です。

入母屋造に向拝として唐破風を取り付けた形ですね。

f:id:dagashi_rama:20220112165308j:plain

懸魚には雲と梅でしょうか。天満神社のモチーフですかね。

貫の彫刻も見事ですね。

f:id:dagashi_rama:20220112170616j:plain

f:id:dagashi_rama:20220112170724j:plain

狛犬

f:id:dagashi_rama:20220112170913j:plain

本殿です。

本殿の前にも狛犬が三組いらっしゃいました。

本殿は流造ですね。

こちらも彫刻がよく施されています。

f:id:dagashi_rama:20220112171233j:plain

本殿の裏に祀られている祠です。

菩薩坐像でしょうか。

両手が膝の上にあるように見えますが印相が分かりませんね。

f:id:dagashi_rama:20220112171710j:plain

拝殿の西に祀られている祠です。

笏を持っていること、貴族風の装いから男性神像とみられます。

菅原道真公でしょうか。

神像の存在は神仏習合の影響とこの神社の信仰の厚さを思わせます。

f:id:dagashi_rama:20220112172014j:plain

合掌する菩薩坐像。

横のはなんでしょうか。仏教に明るくないのでわかりません。

f:id:dagashi_rama:20220112172246j:plain

f:id:dagashi_rama:20220112172313j:plain

f:id:dagashi_rama:20220112172332j:plain

薬師如来坐像です。

見事な造形ですね。

左手は与願印、そして持物に薬壺。

通常右手は施無畏印を示すはずですが……。

薬指と親指をつけていますね。阿弥陀如来の九品来迎印の下生に見えます。

これは正しい印相の組み合わせなのでしょうか?

面白い作例です。

何はともあれこのような立派な仏像が伝わっているあたりに神仏習合を感じられますね。

f:id:dagashi_rama:20220113023924j:plain

拝殿東の仏像群。

f:id:dagashi_rama:20220113024013j:plain

大日如来像ですね。

宝冠を被った菩薩風の像容に一瞬菩薩像かと思いました。

印が見えれば金剛界胎蔵界かわかるんですが、さすがに前掛けをめくるのは気が引けました。

f:id:dagashi_rama:20220113024519j:plain

十一面観音像ですかね。

廃仏毀釈の影響を逃れたのかたくさんの仏像が境内に祀られていました。

優れた薬師如来坐像が伝来するなど、村社に列せられるほどでもなかった神社であるのに対して神社の規模が大きいように感じます。

これらはどこから伝来したのでしょうか。

もっとも考えられるのは太宰府天満宮でしょう。

実は、幸津はかつて太宰府天満宮の前身である安楽寺の荘園でした。

鳥栖市内には安楽寺の荘園であった地域が多く、「安楽寺」と名の付く町も残っています。

鳥栖天満宮が多く存在するのもこの影響が大きいでしょう。

幸津天満神社にも安楽寺との交流が多くあったと考えられます。

太宰府周辺の、中央の様式を学んだ地方仏師たちが制作した仏像を迎えることができたことでしょう。

大日如来密教の仏ですから、天台宗寺院だった安楽寺とのつながりも見えてきますね。

 

さて、前回に引き続き鳥居を見ていきましょう。

f:id:dagashi_rama:20220113033916j:plain

一の鳥居です。

見た感じ肥前鳥居らしさは全く感じません。

f:id:dagashi_rama:20220113034111j:plain

建立は明治廿九年丙申六月吉辰とのこと。

1896年ですね。

f:id:dagashi_rama:20220113034446j:plain

二の鳥居。

肥前鳥居っぽさが出てきましたね。

三つの部分で構成された柱、貫、島木と笠木。台輪。下ほど太い柱。

端で急にそる笠木。楔はなし。

いい感じですね。

f:id:dagashi_rama:20220113034901j:plain

建立は元禄十四年龍集辛巳二月穀旦と書かれています。

1701年の古い鳥居ですね。

前回見た鳥居と似ており、時期も同じころだったので、このころはこの形式がよく作られたようです。

f:id:dagashi_rama:20220113035404j:plain

三の鳥居。

これはまた奇妙ですね。

台輪の存在や下ほど太い柱、楔がないなどある程度肥前鳥居の特徴はありますが、柱も島木、笠木も三分割ではなく二分割となっています。

二分割の肥前鳥居もありますが……。

なにより笠木のそりが中央から緩やかに始まっています。

明神鳥居的ですね。

この特徴は一の鳥居も見られましたね。

f:id:dagashi_rama:20220113035922j:plain

建立は寛永二歳次乙酉四月佛生日とあります。

これ、事実なのでしょうか?

寛永二年は乙丑なんですよね。

乙酉なのは正保二年です。

1625年か1645年か……。

いづれにせよ元禄のものより早い年代のものです。

時間が経って明神鳥居と混ざったと簡単に片づけられなくなってしまいました。

逆に肥前鳥居の黎明期に近いことを考えると、肥前で流行し始めた新奇な肥前鳥居の要素を取り入れてみた明神鳥居……というのもありそうです。

鳥居はやっぱり面白いです。

一般に認知されている肥前鳥居の最も目を引く特徴はやはり笠木と島木の一体化です。

しかし、笠木と島木の一体化した鳥居は佐賀県内でもそう多くは残っていません。

それらは地方自治体の重要文化財などに指定され、肥前鳥居の典型的な造形として保護されています。

果たして本当に肥前で隆盛した鳥居はそのような造形だったのでしょうか。

重要文化財として指定されていない、そのへんの神社のそのへんの鳥居たちも同じように古くから残存してきた鳥居です。

何の変哲もない鳥居だと今まで思わせてきた鳥居こそ、本当に肥前で隆盛してきた「肥前鳥居」なのかもしれません。

 

奇特な肥前鳥居と広く普及した明神鳥居をうまく取り入れた「ハイブリット肥前鳥居」が今いちばんアツい。

 

 

参考文献

鳥栖市ホームページ - 市指定重要文化財(美術工芸品・彫刻) 薬師如来坐像の紹介です

知恵の輪-02懸魚彫刻のいろいろ

鳥栖市鳥栖市史』鳥栖市,1973-03-31,p131.